こんにちは!まやきちです!
現在、0歳4ヶ月(修正1ヶ月)の超早産児・超低出生体重児の息子がGCUに入院中です。
超早産児…在胎週数28週未満で産まれた赤ちゃん
超低出生体重児…出生体重1000g未満で産まれた赤ちゃん
私の息子【うっき】は26週6日、500g未満で産まれました。
このブログを読んでいる方は、早産児の育児や発達についてお悩みのママさん&パパさんが多いのではないでしょうか。
ここでは主に
- 出産&育児体験談
- 担当医から受けた病状説明
- 修正月齢と実際の発達の比較
- 正期産の赤ちゃんとの生活の違い
を紹介していきたいと思います!
この記事では
早産になった過程
管理入院が決まってから出産までの流れ
をまとめました。
胎児発育不全の発覚
25週で行われた検診で異常が発覚しました。
エコー検診で頭位や大腿骨の長さを測るのですが、先生が何度測り直しても、一番大きく取れるところで22週相当、体重は400g程度。
胎児発育不全の疑いとされ、1週間後にもう一度検査に来るようにと予約をとってもらいました。
この時点で胎児発育不全のことは調べ始めていたため、もしかしたら来週の検査から出産までの3ヶ月ほど、管理入院で家に帰れなくなるかも…と思い、入院バッグを急遽用意しました。
そして緊張の再検査…夫に仕事を休んでもらい、一緒に病院へ向かいました。
1週間経ったにもかかわらず、数値はほとんど変化していませんでした。
精密な検査が必要で、その時かかっていた産院では対応不可能とのことで
急遽紹介状を書いていただき、地域の周産期母子センターのある大学病院へ転院することになりました。
その場で先生直々にアポをとってくださり、病院をハシゴすることに。
転院先の大学病院で
到着するなりNST(赤ちゃんの心拍や胎動を測る検査)が始まりました。
20分で一度看護師さんが様子を見てくれましたが、追加で10分間の検査。
その後は産科の先生がエコーをしてくれたのですが、胎児発育不全以上に恐ろしいことが発覚したのです。
胎動が極端に少なく、臍帯、脳、肺全てで血流が弱く、逆流が見られたのでした。
要するに『お腹の中の赤ちゃんは、今とっても危ない状態。子宮内胎児死亡も有り得る。』状態だったのです。
この時点での原因はわからず。
この場で、先生から「まずもって1ヶ月もお腹にいさせておくことはできない。明日〜10日あたりで産むことになるよ。帝王切開ね!」と告げられました。
緊急入院スタート初日
バタバタで助産師さんから説明を受け、夫が入院手続きをしてくれている間に、私は病室に通され早速お着替え。
めちゃくちゃ太い点滴を両腕に刺されました。陣痛を経験しなかった私にとってはこれが今出産で一番の痛みでした。笑
片腕からは主に切迫早産の時に使用する、張り止めのお薬(マグセント)の24時間投与が始まりました。(胎児に良い影響があるらしいのですが、当時ショックでぼーっとしていたため、詳しくは覚えていません。)これは産む直前まで続くのですが、副作用の血管痛と体が熱くなる感じが3日目くらいまで続きました。
もう片腕からはステロイド薬の投与がされました。(筋肉注射、怖かったけど点滴より痛くなかった)
これは早産で産まれてくる赤ちゃんの肺発達を促進してくれるため、産まれた後の予後を良くするそうです。
一時帰宅はできないため、夫が家から事前に準備していた入院バッグを持ってきてくれて、夕食後にもう一度NSTをしました。
入院2日目〜4日目のルーティン
1日の流れ
6時 起床 体温、血圧、体重測定
8時 朝食 前後にNST30分間
9時〜12時 どこかでエコー検査
12時 昼食 前後にNST30分間
13時〜15時 どこかでエコー検査 空き時間でシャワー
15時〜18時 夫&母と面会
18時 夕食 前後にNST30分間
21時 消灯
消灯から朝まで 3時間おきにアラーム セルフで胎動チェック(任意)
NST、エコー検査で赤ちゃんの具合が悪いことがわかると即帝王切開のドキドキの5日間でした。
また、エコー検査は先生都合でゲリラ的に行われることもあるため
なかなか自由時間はなく、慌しかったことを覚えています。
2日目〜4日目は、入院当日の逆流の所見はなく、ぴょんぴょん跳ねたり、指しゃぶりをしていたり。
毎回お顔の写真をくれるので、少しずつ過度の緊張はほぐれていきました。
夜中は検査がないので、赤ちゃんの胎動を自分でチェックしていました。
夜間に突然赤ちゃんの具合が悪くなってしまったら…
先生方は私の自己申告が頼みの綱となってしまうためです。
幸い、うっきがお腹の中では夜行性だったためか、毎日夜間の胎動は感じられたためホッとしていました。
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